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『典獄と934人のメロス』 関東大震災で放たれた囚人、運命の24時間と歴史の真実

Posted by erkazm on 15.2016 掲載記事
典獄と934人のメロス
典獄と934人のメロス
posted with amazlet at 16.01.15
坂本 敏夫
講談社
売り上げランキング: 7,181



大正12年9月1日午前11時58分、関東大震災が起こる。被害は甚大で10万人以上が死亡あるいは行方不明になったと言われている。
 
横浜では大火災が起き、港沿いのレンガ造りの商館や官庁は倒壊した。横浜地方裁判所では最も広い法廷で労働争議の審議が行われていたが、百人余りの人が建物の下敷きとなり生き埋めとなった。
 
現在の横浜市磯子区にあった横浜刑務所も被害は免れなかった。外壁、庁舎建物、七棟の工場、独居房や重拘禁房もすべて崩れ落ちた。収容されていた囚人は1131人で死亡者38人。職員の死亡は3人であった。
 
当時の典獄(刑務所長)は椎名通蔵という初の帝大出の監獄官吏で4か月前に赴任してきたばかり。たたき上げの幹部とはそりが合わなかった。

震災直後、横浜市内は大火災となっていた。ここに火の手がまわるのも時間の問題だ。職員は即座に埋まった重要書類の保管にかかる。囚人たちは避難場所に集まり、自発的に救援作業や日常に必要な品を集めていた。やがて火事が発生した。
 
椎名はここで腹をくくる。監獄法では天災で避難も護送も不可能な場合、24時間の解放を認めている。千人もの囚人が解き放つことに不安はあるが、このままでは助からない。全ての責任を負うと決め、看守たちの反対を押し切り、解放を断行した。

この日の午後6時30分をもって、椎名は囚人たちの解放を宣言する。期限は24時間で戻らなければ逃亡罪として罰する。柿色の囚衣で襟には番号と名前が書かれている。町中では危険を回避し善行を成せ。留まっても食事の用意はできない。家族の安否を尋ね、復旧の手伝いをするように、と言い渡した。

解放囚の一人、福田達也は生家である相模野の溝村に向かう。途中、暴漢に襲われ警察に捕まるが、翌朝には辿りついた。周辺の人たちの救助を行うには時間が足りない。代わりにと、妹のサキが刑務所に戻り兄の帰還を待つことになった。メロスを待つセリヌンティウスさながらに。

解放された囚人は信じてくれた椎名典獄のため、悪事を働くことなくほとんどが戻った。そればかりではない。彼らは進んで横浜港の復興のために粉骨砕身、励んでいくのだ。

著者は元刑務官。横浜刑務所にこの記録が残されていないことに気づきサキの娘から詳細を聞いた。約30年間、断片的な事実を組み合わせ、記録が残されなかった大きな理由にたどり着く。まさに心血を注いだ労作であり傑作である。

(週刊新潮 2015/12/24)

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