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『ポンコツズイ 都立駒込病院 血液内科病棟の4年間』 二度の臨死からの生還、おめでとう!

Posted by erkazm on 06.2016 HONZ 0 trackback
ポンコツズイ 都立駒込病院 血液内科病棟の4年間

「好事魔多し」とはよく言ったものだ。

もろもろの多難を乗り越え、ようやく安定が見えてきたころ、ドカンと足元に大きな穴が開く。人生にはよくあることだと言われるかもしれない。

でも、あとからよく考えてみると、その穴は突然できたわけじゃなく、少しずつ広げられていったものなのだ。多忙な期間は、見たくないから知りたくないから、いろいろな理由を付けて良い方に解釈してきた。そのツケがまわってくるのが、一息つけるようになった時なんだろう。

矢作理絵、33歳。アパレル業界のフリーインポーターだった2011年は、多忙を極めていた。東日本大震災で日本のファッションイベントがすべて中止になる中、日本のものづくりを紹介するため、ベルリン、ニューヨークと飛び回っていた。

ただ、徐々に体が不調になっていくのは感じていたのだ。熱っぽいから風邪か?ちょっとぶつけると痣になるのは何?大量の鼻血、止まらない生理、貧血の連続。気にはなるけど仕事が先。だがどうにも頭から離れなくなって、近所のクリニックに駆け込んだ。

血液検査の結果、ただならぬ雰囲気。聞けば治療に当たってくれた医師は血液専攻で、すぐに大病院に行けという。駒込病院を紹介してもらって直行すると血液の病気であることは間違いなく、即入院だと告げられる。

結論から言えば、彼女の病気は「特発性再生不良性貧血」であった。100万人に5人の確率で厚労省指定の血液難病だ。
不幸中の幸いだったのは両親が元気で、彼女に尽くしてくれたことだ。ただ父親がかなり素っ頓狂な人で、これはこれで重くなりがちな本書の笑いのツボになって、読者にとってはありがたかったのだが……。

さて、多少具合が悪いとはいえ昨日まで元気に働いていた人が、医師も驚くほど重症だとは本人も思えなかったのだろう。最初はあくまでもお気楽である。同室の人との会話も長閑だ。ただこの温かい時間も一瞬のこと。診断が下るまでの検査だけでアレルギー反応に苦しめられ、息苦しさに苛まれていく。

幸いにもガンのような悪性疾患ではなかったが、状態はステージ5の最重症で、治療方法の第1オプションは骨髄移植。それも兄弟で型が一致していれば一番いいという。だがたった一人の兄に拒まれ、第三者からの提供を受けることになった。

2番目の方法としてATG療法が選択された。これは免疫抑制療法で、ウサギから作られた抗体を注入され「ウサギ証明書」が発行される。敗血症を予防するため虫歯の治療までしたが効果は上がらず、骨髄提供者を待つことになった。幸い、すぐに見つかり手術への段取りとなる。

骨髄移植をした患者の病気との闘いは『セカチュー』やらテレビドラマやらで想像がつくだろう。骨髄を注入された後、感染しないようにビニールのテントの中で生着するのを待つ。その間で命を落とす人もいる。しかし矢作さんの大変さはその比ではなかった。
「確率数パーセント」の障害が怒涛のように押し寄せてくる。医師でさえ見たことのない症状に、対症療法で切り抜ける。臨死と言ってもいいような状態に2度陥り、一度は親戚友人一同を呼び、一度は医師から「あと二日」の余命宣告まで出されてしまうのだ。まるでおみくじの大凶を10回続けて引いたようなものだ。

だが、最後のおみくじが大吉だった。だからこそこの本が書けたのだけど、その瞬間、読んでいた私ですらガッツポーズをつくってしまうほど、それは奇跡の復活だったのだ。

闘病記は読むのが辛い。なのに読まずにはいられないのはなぜだろう。いつか自分に降りかかってくる「大病」に身構えるため?同じ病気の人に体験を知ってもらうため?どちらも当たりだが、私の場合は「人間の強さ」を確認したいからだと思う。
もちろん患者本人の強さは当然だが、家族や友人たちの支え、医師や看護師たちの働き、医学の進歩など、この本からたくさんの知識を得た。これはいつか私の役に立つ。

矢作さんは命を取り留めた。だが、タイトルどおりポンコツの骨髄を宥めながら過ごしている。よくがんばったね。そして、よくこの本を書いてくれました。ありがとう。
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『日本人の値段』 年俸2700万ではまだまだ安い! 中国に買われたエリート技術者たち

Posted by erkazm on 16.2015 HONZ 0 trackback

日本人の値段: 中国に買われたエリート技術者たち日本人の値段: 中国に買われたエリート技術者たち
(2014/12/17)
谷崎 光

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現在、中国国内で働く日本人技術者はどれくらいいるのだろう。

「2,3000人はいる。数百人などという数字ではない」(女性ヘッドハンター)
「5000人くらい。これ、だいぶ堅い数字だ」(人材会社の中国人経営者)



中国に14年住む著者の耳にも、その数の多さは聞こえてきたが、実際は見当がつかなかった。日本より給料がいいとか、技術を渡せばすぐに首になるんじゃないか、とか噂ばかりが先行していた。

では、取材をしてみようとすると、応じてくれる人を探すのは簡単じゃなかったようだ。しかしひとり見つかると、その後ろには数十人も日本人が働いている。会社によっては数百人にも及ぶ。

技術の範囲も多岐にわたる。中国で一番人気の自動車とその部品製造。材料の鋼鉄、高性能プラスチック、液晶、家電…。ほとんどが軍と結びついた大企業であり、国からの補助が降り、日本人を高額で雇用している。車のエンジニアの場合、年俸2700万円程度が相場で、3600万円ぐらいまではけっこういるそうだ。欧米人はもっと多い。

雇われている技術者の多くはSONY、東芝、日立、三菱自動車、コマツ、パナソニック、シャープなどの超一流企業出身。技術流出が懸念されてから、ずいぶん経つが、彼らは何を思って中国にやってきたのだろう。

まずはドケチの社長で有名な大城自動車(仮称)に勤める田中雄一さん(仮名・50代)を足掛かりに、様子を伺ってみよう。彼はエンジン駆動系の設計開発では、日本のトップエンジニアである。元の会社ではハイブリッド車のトランスミッションの開発チーフであったという。

田中さんは、高額でヘッドハンティングを受けた韓国企業を蹴って、大城自動車を選んだ。

中国でも環境問題に対応する車をやりたい、と。ほら、空気もこんなに悪いし。環境汚染で、国から日本では考えられないような額の補助金が出るらしいです。数十億元(約1000億円)も



子供の頃から機械いじりが好きだった田中さんにとって、この仕事は天職だったのだろう。忙しいことが当たり前、仕事とはそういうもので、やりがいもあった。中国に来てもそれは変わらない。

日本では完成車メーカーの真下にある基幹部品メーカーに在籍していたが、給料は驚くほど安かった。日本が一番強い実力を持つのはそこなのに、だ。だから目ざとい外資に買収される。人兼費を削減のため従業員の残業を減らしたが、それでは仕事は回らないから残業代のいらない管理職の田中さんが昼夜兼行で働いた。その結果、大量の血便を繰り返し、精神的にも追い詰められた。ヘッドハンターの話に乗ったのはそんなときだ。

「技術統監」という役職の田中さんに求められるのは設計開発の指導である。若い部下は自信満々に設計図を持ってくるが、ダメだししてもいうことを聞かないのだそうだ。「私には実績がある!」と主張するが、失敗経験を積まなければエンジニアのレベルは上がらない。機械のエンジニアを育てるのには時間がかかる。日本人エンジニアが優秀なのは、同じ会社に何十年もいて訓練され、技術が継承、蓄積されてきたからである。

中国人の安全意識は低い。低価格を求められるから、低品質になる。金持ちや政府高官は中国の純国産車には乗らないという。国家領導(リンダオ・国家リーダーのこと)の車も、式典の時は紅旗(ホンチー・国産高級車の名前)に乗るが、エンジンとトランスミッションは日本製だそうだ。

田中さんには転職の引き合いがひっきりなしにあるという。より高給となり、生活面の保証もあつくなる。自分の値段が「適正な市場価格」に調整されていくのが中国社会である。

お金ではなく、評価でもない。田中さんの希望は好きなメンバーと新しいプロジョクトを起すことだ。今はバラバラになってしまったが、彼が望むメンバーならどんな困難も乗り越えられるというのだ。

エンジニアとしてのやりがいと好奇心、多少の報酬を求めて、日本からやってきた人たちが嫌気を催すのは中国人の不誠実さなのではないだろうか。外国の特許はパクリ放題、デザインも盗み、設計図には驚くことに基準線がない。それなのに生産ラインに入ると、なぜか製品が出来上がる。材料に何を使うか、どこのメーカーのものかも一切書いていない。試作通りにできたためしはないのに大量生産。その結果、家電製品は爆発する。冷蔵庫も電子レンジもクーラーも電磁プレートもバキュームカーまで爆発する。(参照:中国爆発シリーズ【中国で爆発したもの一覧リスト】チャイナボカン

それでも自分の技術を見込んで、とヘッドハンターがやってくれば、悪い気はしないのが人情だ。実は本書、このヘッドハンティングの章が滅法面白い。日本人の純情と潔癖さが利用され、ハニートラップにもまんまとひっかかる。大企業の経営者も政府の科学技術関係者も見通しが甘すぎる。「技術移転と技術流出は違う」だと!男たちよ、しっかりしなさい。

長く言われていることだが、日本の技術力は世界から狙われているのだ。それは取材した著者が強く感じたこと。谷崎光は名著『中国てなもんや商社』を著し、イヤヨイヤヨといいながら中国に住んで、様々なことに関わり続け体験してきた女性だ。彼女が3年かけて、のべ80人超の取材から見えてきたもの、それは、超優秀なのに報われないため、夢と希望を抱えて流出せざるをえない日本の技術者たちのジレンマであった。
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中国てなもんや商社 (文春文庫)中国てなもんや商社 (文春文庫)
(1999/12/01)
谷崎 光

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チャイナハラスメント: 中国にむしられる日本企業 (新潮新書)チャイナハラスメント: 中国にむしられる日本企業 (新潮新書)
(2015/01/16)
松原 邦久

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『猪変』 イノシシはそこにいる!

Posted by erkazm on 06.2015 HONZ 0 comments 0 trackback

猪変猪変
(2015/02/05)
中国新聞取材班

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シカやイノシシの被害で地方は悲鳴を上げている。その声は毎年大きくなり、もはや断末魔の様相を呈している。昨日の日本農業新聞には、イノシシの処分に頭を悩ます福島県相馬市のニュースが出ていた。

東京電力福島第1原子力発電所事故に伴う出荷停止が続き、捕獲したイノシシの行き場がなく、相馬市では冷凍庫に入れて一時保管してしのいでいる。捕獲しても処分先がないためだ。狩猟税などコストも掛かることから狩猟者が減り、イノシシの生息数や生息域は広がり鳥獣被害は増加、狩猟者の負担は重くなるばかり。現場からは「この先、狩猟は続けられるのか。見通せない」などと切実な声が上がっている。 2015.2.5日本農業新聞



田畑の農作物を荒らすサル、シカ、イノシシを退治するには、現状では駆除するしか方法がない。その地域だけ囲い、侵入を防いだにしても、山がやせ細ってしまっている以上、被害はほかにいくばかりだ。野菜を植えても、収穫時には根こそぎ取られる。山は荒らされ維持することもできない。
この問題にいち早く気づき、特集をしていた新聞社があった。中国新聞である。『猪変』は2002年から3年にかけて、ほぼ半年間朝刊で連載されたものだ。
始まりは、ある記者が小耳に挟んだ話だった。

海を泳いで、島に渡るイノシシがおるんじゃげな



実際見たという話もあちこちで聞く。面白がってその話を追いかけていくうちに、農家から被害の大きさを聞くことになった。現れそうな場所に感知式のカメラを仕掛けると、たわわに実ったミカンを引き散ろうとする瞬間や、ウリ坊がスイカをあさる瞬間をとらえることができた。

行政も手を拱いていたわけではない。しかしそもそも金も人もない中でできることが限られていた。昔から身近にいた動物であったことも、判断を甘くしたのかもしれない。農家が老齢化し、山で丹精していた果樹の面倒をみきれず、放置してしまったという側面もあっただろう。放置された田畑によって、味を覚えてしまったのだろう。

取材班はヨーロッパに飛び、各国の事情も取材している。狩猟のさかんな地域では、ハンターたちが捕らえた野生鳥獣をジビエとして食べる文化が発達している。いまでこそ、この料理を売り物にしたレストランは増えてきたが、今から十年以上前、ジビエはまだ日本人には浸透していなかった。

その上、家畜でない動物は食肉解体場に持ち込めず、食品衛生法によって販売もできない。農林水産省HPの鳥獣被害対策コーナーには平成23年3月に作成されたシカ、イノシシの利活用(捕獲獣肉利活用編)では各地の取り組みが紹介されている。それは、本書の連載が終わったあと、取り組みは始まったようだ。

本書にも記されているが、私は10年ほど前、神戸のどまんなかでイノシシを見かけた。山と海とが近接している神戸では、一時、面白がって餌付けされたイノシシが、生ごみを漁りに山から下りてきた。住宅地の水路脇の遊歩道をトコトコ歩いているところを目撃したときは、目を疑ったが、昨年は襲われて多く被害が出ているようだ。

本書の終章は「猪変」その後と題し、現状が追加取材されている。しかしそれは日々のニュースでも飛び込んできている。オオカミの導入、新しい保護策の開発など、話題には上るが後手後手に回っている印象は否めない。冒頭に紹介した福島原発近郊の問題など、解決への道は遠い気がする。
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オオカミが日本を救う!: 生態系での役割と復活の必要性オオカミが日本を救う!: 生態系での役割と復活の必要性
(2014/01/24)
丸山 直樹

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 もはや、これしか方法はないのかもしれない…



千年企業の大逆転千年企業の大逆転
(2014/08/06)
野村 進

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 体重100キロのイノシシが、時速10キロのスピードでぶつかってきてもこわれない格子状の鉄線の柵、その名も「イノシッシ」を開発した会社も載っている。


『ボケてたまるか!』あなたは本当に大丈夫?? 62歳記者認知症早期治療実体験ルポ

Posted by erkazm on 19.2015 HONZ 0 comments 0 trackback

ボケてたまるか!  62歳記者認知症早期治療実体験ルポボケてたまるか! 62歳記者認知症早期治療実体験ルポ
(2014/12/05)
山本朋史

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山本朋史は朝日新聞記者として39年のキャリアを持つベテランだ。さまざまな部署を経験したが、事件取材が圧倒的に多かった。特ダネを抜いたり抜かれたりしたりしつつ、現場に拘って過ごしてきた。60歳で定年を迎え後も1年ごとの契約更新で記者の仕事を続けていた。

そんな山本が脳の異常を感じたのは61歳を過ぎた頃であった。記憶力には自信があったのに、少し前に聞いた人の名前が出てこなくなったのだ。大好きな競馬の競走馬の名前も思い出せない。しかしそんなことは周りを見ればみんなあること。加齢のせいにしていた。

だがある日、取材日程をダブルブッキングしてしまう。いままでの記者人生でありえないことが起こった。これは絶対におかしい。彼は医療関係者のアドバイスに従い、東京医科歯科大学病院精神科にある「物忘れ外来」に飛び込んだ。
認知機能検査を受け、MRIとCTの精密検査の結果、症状はまだ軽いが認知障害の疑いがある(MCI)という結果に驚愕する。

診断をした筑波大学の朝田隆医師の勧めで、認知症早期治療としてデイケアにおける認知力アップトレーニングを受けることを決意する。その実体験を週刊朝日に連載したルポ、それが本書の骨子となっている。治療は自腹、すべて自分が体験したことだ。巻末には治療にかかった費用も記されてる。
筑波大学附属病院でのトレーニングが始まった。週に一度、南千住の自宅から約2時間の病院へ。午前9時開始、午後3時半終了。その間、記憶力のテストや認知症患者のために開発された「アタマ倶楽部」というゲーム、思い出をみんなに語ったり、どのくらい大きな声を出せるか計測したり、ステップダンスをしたり、体力テストを行ったり、と果たして何の役に立つのだろう、と訝るような訓練が続く。最初は長くトレーニングを続けている高齢者にかなわない。
数回のトレーニング後、その効果が期待できるものだと判断し他の患者からの合意も得た著者は、ルポ連載を開始した。誌上で自分は軽度認知であることをカミングアウトしたことで、最初は対応に困っていた周囲も、やがて何でも聞いてくるようになる。何十年も同僚として働いてきた仲間が、どうなってしまうのか心配であるとともに、明日は我が身、同じことが起きうる、と心の準備もあるだろう。多くの読者から反響があったのも頷ける。

どのようなケアが行われたか紹介しよう。

まずは筋トレ。負荷をかけた運動に痛みを感じなかったら、それは認知障害の始まりなのだそうだ。認知症の患者は、感覚神経が脳につながっていない。だからいくら徘徊して歩いても疲れを知らず、足の痛みも感じない。どの運動が一番効果的か研究した結果、トレーナーの本山輝幸が考案した本山式トレーニングはかなりハードなものだった。

IMG_8954.jpg
いすに浅く腰掛けてこの状態から太ももを見て集中しながら10センチくらい上にゆっくり10回。


IMG_8804.jpg
脚を肩幅の2倍以上開き腕を組んだこの状態から、10センチ上下する。20回以上。

IMG_8804.jpg
いすに触った状態で両足をそろえ、両膝をを胸に引き上げる。10回以上。腹筋下部を鍛える

本の中ではモノクロ写真だが、編集部からお借りしたカラーでみると、被験者の顔でそのきつさがよくわかる。このように身体の各部を細かく分けて行うエクササイズが10種類以上。1時間ほどの運動で汗びっしょりになるそうだ。先生の筋肉がすごい。

他にも美術療法や体を動かしながら脳を活性化させるシナプソロジーという独特のエクササイズ、料理、楽器演奏、社交ダンスとプログラムは多岐にわたる。参加者は仲間と交流を持ち、ケアに参加することを楽しみにするようになっていく。

それにしても、認知症を治す、あるいは進行を止めるため、なんと多くの医療以外の専門家が様々な療法を考案しているのだろう。多くは身近に認知症患者を診たことがきっかけになっているようだが、要は脳に刺激を与え活性化することに尽きる。それも同じことを繰り返すのではなく、手を変え品を変え、新たな刺激を与え続けることで進行は遅れていくようだ。

実感としても、かなり改善されたようだ。数カ月に一度行われる検査の数値も目に見えてよくなったうえ、持病のアレルギーや中性脂肪値、悪玉コレステロールの値も目に見えて改善されていく。体重もいつの間にか落ちて、体はどんどん元気になっていく。

家族の悩みも深い。このケアトレーニングには認知症を発症した配偶者や子供が付き添ってきている。かつては近所や親せきに隠すため、家族のストレスは大きかったが、このようなオープンな場があることで、お互いの悩みを相談でき、笑いあうこともできる。

スタッフが経験豊かであることも、患者や家族にとって大きな支えになる。患者への対応だけではなく、生命保険や年金の手続き、住宅ローンの免除、認知症の種類の特定など、症状に合わせてのサポートは本当にありがたいだろう。

実は私の舅は阪神淡路大震災で家が全壊したことで、認知症を発症した。まだ60代であった。20年前は、今のようにまわりの理解もなく、病院も少ない。ようやく見つかったのは、神戸から遠く離れた滋賀県。両親は2時間半かけて、その病院に通った。そこで治療は程度の差こそあるが、本書のように仲間と一緒にケアするもので、何より家族会が支えになったという。効果も顕著で、舅はやがてできてきたデイケアなどを使い、10年もの間、家庭で普通に暮らすことができた。今思うと、非常に先進的な試みをやっていたのだということが理解できる。

しかし認知症に完治はない。このトレーニングを卒業したら、果たして自分はどうなるのか。多くの予備軍が彼らの背後に控え、もしかすると私も、と少し怯えながら本書を閉じた。50歳を超えたら、心の準備として読んでおくことを進めたい。ボケてたまるもんですか!

この連載から山本朋史は昨年11月に東京で行われた国際的な「認知症サミット後継イベント」のオープニングスピーチに抜擢された。出来はまあまあだったものの、致命的なミスをひとつしてしまう。それはぜひ本書で。

『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』 第45回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門受賞作 クラシック業界の恐るべき闇を告発する渾身のルポ

Posted by erkazm on 19.2015 HONZ 0 comments 0 trackback

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌
(2014/12/12)
神山 典士

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年末恒例、「今年の漢字」が発表になった。2014年(平成26年)を表わす一文字は「税」。ずいぶん直接的な文字である。
個人的には今年の漢字は「欺」にして欲しかった。美談から地に落ち、汚名まみれになった人の多かったこと。STAP細胞騒動、歌手のASKAの麻薬、30年前の従軍慰安婦報道の過失を認めた朝日新聞、号泣県議、福岡と京都で発覚した連続夫殺しの二人の女などなど、騙されてしまったなあ、と思う事件が頭をよぎる。

その中でも、一般もマスコミもひっくるめて美談にコロリといかされたのが、現代のベートーベンと称された佐村河内守のゴーストライター事件である。

2014年2月6日発売の週刊文春において、佐村河内守が作曲したという楽曲全部は新垣隆という音楽家が作ったものである、という記事が出た。すぐに記者会見が開かれ、小柄で弱々しい感じがする男性が、すべてを明らかにした。週刊文春は二の矢、三の矢を飛ばし、新垣隆本人の告白記事と騙されたマスコミの一覧を発表。そこにはNHKをはじめとする民放各社、全国紙、大手出版社の名前がずらりと並んだのだ。

当人である佐村河内守は、3月7日に弁護士も付けず、一人、記者会見を行った。トレードマークの長髪・ヒゲ・サングラスを外し、まじめなサラリーマンのような七三分けにスーツ姿で現れ、記者たちの度肝を抜いた。全聾者というのもウソ、語ってきた経歴もウソ、と関係方面へのお詫びの言葉を述べた。

その会見に怒ったのが本書の著者、神山典士である。週刊文春の記事のきっかけになったあることが、神山にはどうしても許せなかったのだ。本書は、神山典士というノンフィクション作家がどうして佐村河内守にゴーストライターがいたのかを知るところから始まる。

彼は“こうやまのりお”という名義で児童書も書いている。その中の一冊に『みっくん、光のヴァイオリン‐義手のヴァイオリニスト・大久保美来』という大型本がある。小学六年生のみっくんという女の子は「先天性四肢障害」という生まれつきの障害で右手のひじから先がない。でも、ヴァイオリンが弾きたいと義手を付け練習を重ね、コンサートを開けるほどの腕前になったのだ。彼女が上達した一つの要因に佐村河内守との出会いがあった。こうやまのりおは、その過程を見続けていた。良好な関係が続いていると信じながら。

しかしあるとき、みっくんの両親から連絡が入る。折り入って相談があるという。軽い気持ちで出かけた神山を待っていたのが、佐村河内守のゴーストライター問題であった。

聞けば、佐村河内とは関係なく新垣隆とも知り合いであり、みっくんの伴奏を何度となく頼んでいた間柄であるという。大久保家と新垣隆は、そのとき、別々の問題で佐村河内守に脅迫されたり、土下座して懇願されたりしていたのだ。

そもそも佐村河内守という聾者の音楽家が注目されたのは99年4月に東京国際フォーラムで行われたゲーム音楽のフルオーケストラによるコンサートであった。新日本フィルハーモニーの150人の演奏者に加え、邦楽界の名だたる名手が揃い、その演奏に誰もが感激した。

一番感激したのは、本当に作曲した新垣隆だったのかもしれない。六畳一間の作業部屋でクラビノーバを頼りに作り上げた曲が、これほど美しく奏でられるとは!名誉やお金ではなく音楽家としての性が満足させられた瞬間であったのだ。しかしこれが18年にもわたる泥沼の最初の一歩であった。

佐村河内が新垣にどのように依頼し、それを新垣がどうやって作曲していったか、その過程は驚くほど綿密だ。特に、マスコミの寵児となってから、ゴーストライターの秘密がばれることを恐れ、細心の注意を払い、ちょっとしたスパイ小説のように連絡を取り合う。

だが、新垣は疲れてしまったのだ。最初はそんなに大事であるという認識はなかった。音楽家として、普通では望めない交響曲を任され、多くの人が喜んでくれるということだけで満足していたのが、佐村河内守という虚像が独り歩きを始めて傲慢化し、世間の人を欺きはじめた。誰もそれを見破れない。

だから関係を切ろうとした。

そこからは泣き落としに土下座である。新垣の決心は変わらずだが、大事にするつもりはまったくなかった。世間からのフェードアウト、それが望みだったのだ。

その決心を変えさせたのが、みっくんやその他、障害を持った子供たちへの支援の下心であった。みっくんは、音楽の才もさることながら、様々な好奇心を持つ元気な少女だ。佐村河内に世話になったことを感謝しつつ、他のことにも興味がでる。
それが佐村河内の癇に障った。今までマスコミに出してやったのに、有名にしてやったのに、なぜ自分の言うことを聞かないのか、という恫喝が始まったのだ。それは中学1年生の少女を怯えさせるのに十分なものだった。

本書にはメールのやり取りが詳しく紹介されている。上から命令するような文面に、最初は謝罪と感謝を繰り返してきたみっくんが、最後に関係を切ることを決意。こう言い放つ。

「大人は嘘つきだ」



正直、本書を読むまで、この「佐村河内事件」は単なる芸能スキャンダルのひとつだと思っていた。被災地での演奏や広島の被爆二世で「交響曲第1番《HIROSHIMA》」という交響曲を作ったのは知っていたが、あまりに胡散臭い風貌で、佐村河内本人に興味が持てなかったせいもある。

最近「どぅんつくぱ ~音楽の時間~」という夜中のテレビ番組が面白いと人から聞いた。子どもの音楽番組を模した大人向けのバラエティなのだが、そこで「新垣せんせい」として音楽の薀蓄を述べる新垣隆をみた。なんだか楽しそうで意外だった。そして本書の発売だ。思わず手に取り、神山典士の怒りを知った。
*残念なことに「大人の事情によってどぅんつくぱ」は12月12日で終了!あれまあ…

週刊文春の一連の記事は、第45回大宅壮一ノンフィクション賞の雑誌部門を受賞した。当然の結果であると思う。
  

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