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『故人サイト』ネットに残る亡き人の声 103人の墓標を調査すると…

Posted by erkazm on 28.2016 掲載記事 0 trackback


インターネットが普及してから、もうずいぶん経った。もちろんその間も人は亡くなっている。作者の死によって永久にネットに漂うことになったブログやホームページは膨大にあるだろう。

著者は5年前、漠然と人の死生に関心を抱くようになり、亡くなった人のサイトを見てカテゴリ分けし、リストアップし始めたという。その中で印象的だった103件が本書にまとめられている。

カテゴリは当然停止したサイトや自殺願望を綴ったサイトなど6つ。有名人だけでなく、一般の人のものも含まれている。

胸を打つのは不慮の事故や殺人などで突然命を奪われてしまった場合である。意気揚々と世界旅行に向かった青年が、強盗にあって殺されてしまったり、大震災で津波警報を放送しつづけた町職員本人が津波に飲まれてしまったり……。直前までの普通の生活が楽しそうであればあるほど、彼らの運命を呪いたくなる。
 
読んで辛いのは闘病記である。若くしてガンや脳腫瘍などを患い、一縷の希望に縋って日々の治療に励む姿は、行く末が見えているだけに切ない。このカテゴリからは『31歳ガン漂流』や『はっちゃん、またね』など出版されたものも目に付く。同じ病気を患う人にとっては、参考になり支えにもなっているのだろう。

本書の中でたびたび語られているのは、残されたブログのコメント欄を利用したスパムや荒らしなど悪意を持ってなされる行為である。なんらかの理由で注目されたブログだと、そこには野次馬のように人が集まってくる。ネットの匿名性にかくれ、攻撃する情けない輩は後を絶たない。

最終章の遺族が故人の意思をついで継続しているサイトはとても重要だと感じた。その人を偲ぶためだけではなく、社会的な資料として必要とされるものも多いのだ。生きてきた証を残したい。その気持ちは痛いほどわかるから。
(週刊新潮1・28号)


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『ロゴスの市』 静かな小説に秘めた熱い思い

Posted by erkazm on 25.2016 掲載記事 0 trackback
ロゴスの市 (文芸書)
ロゴスの市 (文芸書)
posted with amazlet at 16.01.25
乙川 優三郎
徳間書店
売り上げランキング: 1,860


男は翻訳家。コツコツと孤独に言葉と格闘してきた。

女は同時通訳。人と交わり行動することで言葉を獲得してきた。

英語という同じ言語を使う商売でありながら、二人の意識は常に食い違う。だからこそ魅かれて恋をした。本書はそんなふたりの35年にも及ぶ物語である。

成川弘之と戒能悠子が出会ったのは二十歳の頃。同じ大学で英語学を専攻していた。目の前には無数の可能性が転がっていたが、そのなかから一つを選択するのは若者には難しい。だが不思議なことに、仕事の方から近づいてくる場合もある。言葉を武器にしたいと漠然と考えていたふたりも仕事に選ばれた人間だ。

じれったいほど進まない二人の関係とは裏腹に、彼らは確実に実力をつけていく。運も彼らを味方する。人との関わりより仕事のほうが確実に楽しかったのかもしれない。愛より仕事を選んだことを誰も責めることなどできはしない。

タイトルの「ロゴス」には言語の他に論理や真理という意味もある。言葉の世界に一生を捧げた男女が、言葉を必要としない心の中で悩み苦しみ、ひとりで決断していく。人生には何度も岐路があるけれど、歩ける道は1本だけ。後悔しても戻ることなどできない。

登場人物だけではない。作者もまた言葉と格闘している。物語の細部まで考え抜かれた表現のひとつひとつに感嘆する。

静かな小説だ。だが、中に秘めた思いはマグマのように熱い。美しいラストシーンまで堪能してほしい。

(公明新聞 2016/1/18 「ちょっと気になる」)


『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』

Posted by erkazm on 20.2016 掲載記事 0 trackback
「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気
牧村 康正 山田 哲久
講談社
売り上げランキング: 4,184

 
1974年10月6日、日曜日の夜7時半にアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が開始された。当時高校生だった私は、最初は興味が持てなかった。だが回を重ねるうちにクラスの男子たちが騒き始めたのだ。普段はあまり目立たないおとなしい子ほどの夢中になった。思えば、その後に続くガンダムやエヴァンゲリオンの熱狂を作った最初の世代だったのだ。

西崎義展。「宇宙戦艦ヤマト」を最初から今までプロデュースした男だ。大胆にして繊細、剛毅にして小心、ずるい小悪党でありながら人たらしの天才というカリスマ・プロデューサーの名前は本業以外でも有名だった。

曰く、多くの女性タレントを愛人にしていた。
曰く、会社の金を使い込み外国に高跳びし、多くの関連会社を倒産に追い込んだ、など。

極めつけは覚せい剤取締法違反などで8年2か月の実刑判決を受けたことだ。出所したのは72歳のとき。誰もがこれでおしまいだと思っていたが、ここからまた復活する。SMAPの木村拓哉を主役に据えた「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」の公開は2009年12月12日。シャバに出てきてわずか3年後のことであった。

本書では西崎が関わったアニメ、イラスト業界の様々な人の苦い証言が収められている。芸能プロモーターで食い詰めた西崎が、このアニメ業界への足掛かりにしたのは手塚治虫の虫プロ商事入社だった。すでに倒産間近と目されていた虫プロを一時的であれ復活させた強引な手腕は、憎まれながらも認められていた。

虫プロを離れ、直後に企画された「宇宙戦艦ヤマト」は「二千××年、地球上の全人類が滅亡しようという時に、決然と立った少年少女の活躍を物語る」ものだった。と同時に、西崎は漫画原作に頼らず、現場のスタッフの討論によって緻密なシナリオを作り、金を惜しまず、版権ビジネスや音楽の重要性を見出した。その業績を高く評価する人も多い。

2011年、小笠原の海で水死したのも、彼の伝説のひとつとなった。この男は本当に悪党だったのか。間違いないのは、こういう破天荒な人間が新しい時代のパイオニアであるということだ。
                                                       (「STORY BOX」(小学館)1月号 掲載)

『親を送る』 全ての人に考えてほしい、大切な人を失う日のこと。

Posted by erkazm on 18.2016 掲載記事 0 trackback
親を送る
親を送る
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井上 理津子
集英社インターナショナル
売り上げランキング: 47,759


読み始めてすぐに、胸の鼓動が早くなった。これは私の物語だ。
 
7年前の夜9時半過ぎ、ライターの井上理津子に母親から電話がかかってきた。締め切り間際の原稿は佳境に差し掛かかっており、受話器を耳に宛てながらパソコンの検索サイトにいくつかのキーワードを入れてEnterを押す。ひとしきり、健康のことや家族のこと、少し認知症が入ってきた父親のことなど愚痴や世間話につきあい、最後はちょっとした喧嘩で会話を終わらせた。いつまでも元気な母親といつもの会話だ。

ついさっき、私にも母から電話があった。パソコンで調べ物をしている真っ最中だった。受話器を顎で挟み、検索窓にキーワードを打ち込みながら、ふんふんと話を聞く。上の空というわけではないが、親身になって聞き入るわけでもない。

「困ったことがあったら電話してね」と会話を切り上げた、自分と著者が重なった。

 『親を送る』という書名をみたとき、読まねばと直感した。社交的で健康な母と家に籠り物忘れがひどくなった父。そろそろ「介護」という二文字が気になりだし、周りの経験に耳をそばだてる。死までの過程は千差万別だろうが、親を看取る心構えのために、本書はとてもいい手引きとなるだろう。

井上の母もその日までは元気いっぱいだった。だが、不注意で揚げ物の油を頭からかぶり、救急車で運ばれたのが、彼女の最期の日々の始まりだった。幸い火傷は軽く、数日間様子を見るために入院することになり、認知症の父親には黙っていようと義理の姉や子供たちと口裏を合わせていた退院間近、容体が急変する。肺動脈血栓塞栓症。幸い命は取り留めたが意識は戻らず、延命措置が施された。この措置を続けるのか、安らかに逝かせるか。父親にはどう伝えるか。親族が集まり協議する。親族が見守る中、母は静かに息を引き取った。

数日前まで元気いっぱいの母の死に茫然としている暇はない。父をどうするか、また親族会議が開かれる。そこには父親本人の意思は入らない。仕事や住まいの場所を理由に「仕方がない」「そうするしかない」と、どんどん決定されていく。何もわからない父親は付いていけずに爆発する。

本書で何度も繰り返されるのは「あの方法でよかったのか」という後悔の言葉。その時は精一杯でも、あとで思うとくよくよしてしまう。多分、誰もが通る道だろう。4か月のうちに両親を亡くすという慌ただしい経験のドキュメンタリーは本当に身につまされる。
 
12月に入り、喪中はがきが毎日届く。この人たちも今年、つらい別れを経験したのだなあと思う。本書は私の物語であり、あなたの物語でもあるのだ。
                                                             (小説すばる 2016・1月号)


『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』知られざる天皇皇后の姿

Posted by erkazm on 16.2016 掲載記事 0 comments 0 trackback
天皇陛下の私生活:1945年の昭和天皇
米窪明美
新潮社
売り上げランキング: 624


 昭和20年1月1日早朝、昭和天皇は皇居の御文庫内の寝室で目を覚ました。起床を知らせるベルを鳴らすと女官や侍従がにわかに動き出す。ここは昭和17年、吹上御所に建てられた鉄筋コンクリートの防空建築で、戦争が始まってからは事実上の住まいとして使用されていた。

太平洋戦争の終結、その後進駐軍を迎えたこの年、天皇と皇后はどのように暮らしていたのか。本書はそれを側近や家族の日記から明らかにした。平時ならそばに近づけない皇室の人々も、戦時中それも末期となれば、狭い場所で肩寄せ合って生きていた。

『天皇陛下の私生活』1
『天皇陛下の私生活』より。無断転載禁止。

学究肌で身なりにも無頓着な天皇と、鷹揚でほがらか、いつも笑いを絶やさない皇后との夫婦愛も、こんな時でなければ目にすることなどなかっただろう。

戦争中、天皇は軍装で様々な祭祀を行っていた。すでにB29による空襲は激しさを増し、女官たちの宿舎にも焼夷弾が落ち死傷者も出ていた。5月26日には明治21年に建てられた木造の宮殿をはじめとした多くの建物が焼け落ちる。東宮やご兄弟、内親王のほとんどが疎開中であり、邸内にいた皇族についても命を無くした者がいなかったのが不幸中の幸いであった。

戦時中、天皇の唯一の息抜きは1時間ほどの散歩であったという。生物に造詣が深く、植物の観察が何より好きだった天皇は皇后を伴い、ルーペを片手に皇居の散策を楽しんだ。空襲で焼けてしまった草花は、新たに移植をし、その名を自らノートに書きつける。わずかな現実逃避であったのかもしれない。

そして6月22日、天皇は最高戦争指導会議を招集し、ここで初めて戦争の終結について検討するようにと述べた。翌日には沖縄が陥落し連合国に占領された。

玉音放送録音後に起こった陸軍のクーデターが鎮圧されたことで、現代日本の第一歩が始まったと思う。人間としての昭和天皇の素顔が垣間見られる貴重な一冊である。
(週刊新潮 2016年1月14日号より転載)
  

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