
ここ数年、江戸の絵師を描いた傑作小説が続々と生まれている。等伯、若冲、永徳、豊国、暁斎など、筆に命を懸け個性駅な絵を残した人々の一生は、みな魅力的だ。
そしてここにまたひとり、伝説の女絵師を描いた作品が登場した。名はお栄、画号は応為。父はあの葛飾北斎である。幼い頃より膝に抱けれて絵筆を持ち、父親の工房で働いてきた。
家事一般はすべて苦手で、嫁いだ先でも夫の面倒を見るより、まず絵を描く。もちろん早々に夫婦別れをしてしまう。
その後は北斎が九十歳で大往生するまで右腕として尽くしていく。気ままな親父を慕い、その背を追いかけ、もっと上手くなりたい、もっと違う絵が書きたいと悶え苦しむさまは、女も男も関係なく、物を創造する人々すべてが味わう苦しみなのかもしれない。
煩悶の末、書きあがった絵を思わぬ人から褒められると、ふっと報われた気持ちになる。それを支えに高みを目指す。出来ばえに満足することなど決してない。
文政年間、絵師にしても戯作者にしても、きら星のような天才が現れた。曲亭馬琴、為永春水、安藤広重、柳亭種彦。
そして渓斎英泉。女たらしの浮世絵師であり戯作者であるこの男が、絵師としても女としてもお栄を磨きあげていく。
浮世絵の制作過程も興味深い。北斎のような大物は下絵を書いて、あとは弟子たちが彩色し、彫師が版木に彫り、摺師が紙に重ね刷りする。ぴーんと張りつめた作業を、著者は息を詰めるように描いていく。読者もまた息を止めて出来上がりまでを目で追っていくのだ。
時代は幕末近く、応為の絵は西洋画の技法として遠近法や影と光をとりいれて、傑作「吉原格子之図」を完成させる。(カバーの装丁はこの絵を使っている)。
一昨年、太田記念美術館で行われた展覧会で、私はこの絵を見た。花魁たちを照らす煌々とした光を食い入るように見つめる男たちのシルエット。『眩』は「江戸のレンブラント」と呼ばれる応為の生涯を陰影くっきりと浮かび上がらせた傑作である。
(週刊現代 4/9号 ブックレビュー)